EVERY LITTLE THING

深夜アニメ、音楽、映画、コミックの感想など

12月8日と、60年代、70年代のこと

またこの日がやってくる。もう何回目だろう。
久しぶりに、ジョンレノンのライブ映像を観た。

1972年の「ONE TO ONE CONCERT」。ここに映るジョンの姿は最高のロックンローラーであり、これはジョンの最高のライブ・パフォーマンスのひとつだと思う。

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特に「コールド・ターキー」はジョンのシャウトが圧巻で大好きな演奏のひとつ。他にもビートルズ時代の曲「カム・トゥゲザー」やプレスリーの「ハウンド・ドッグ」もやっていて、これもお気に入り。フィナーレの「平和を我等に」では、スティービーワンダーなんかも参加していて大合唱。これ、ステービーワンダーの姿があまりに若くて、いつも笑ってしまう。そして、逆にジョンの姿が変わらないのが寂しかったりもする。

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ところで、今の若い人のジョンレノンのイメージは、どんなものだろう。「イマジン」や「ハッピー・クリスマス」が代表曲、愛と平和のメッセンジャーの元ビートルズ、奥さんは日本人のオノヨーコといったところだろうか。

こういうイメージは、少なくとも「愛と平和」の清らかなイメージは、ジョンの死後、ヨーコさんが地道に戦略的に積み上げてきたものだ。悪く言っているのではない。往往にして伝説は後付けの評価ということだ。

私の辿ったジョンはもっと泥臭い。発掘音源のCD、レコードのライナーノーツ、70年代に発刊された書籍やインタビュー記事などを追っていくと、ある才能を持った若者がショービジネスの世界で生き残るために、もがいたり、悩んだり、調子に乗ったりする姿が見えてくる。

超有名人だから、私生活も取り沙汰されていたりする。結婚、離婚、子供のこと、76年以降の家族生活などの記事や写真からは、大金持ちだけど夫であり父である姿が見え、そこは私たちと違わないように思う。

ジョンレノンが、60年代、70年代の潮流の中でひときわ輝く一筋の流れであることに間違いはない。でも知れば知るほどジョンは、潮流の中を未来に向かって必死に泳ぎ抜いただけのように思えてくる。

つまりジョンが自分の才能を信じ、必死にやってきたことに価値があったということだと思う。潮流の中で泳いでいる者には、自分がどんな光を放っているかなんてわからないのだから。

放った光は潮流の軌跡として、泳ぎ切った者とこれから潮流に飛び込む者に岸辺から見えるものだ。60年代、70年代の眩しい輝きは、その時代を泳ぎ切った者たちの確かな軌跡なのだと思う。

そして私は、今でも40年前のその輝きに魅了され続けている。

FX